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『クイズマガジン21』は

クイズ作家・田中健一のオフィシャルサイトです。

Ultra Quiz アメリカ横断ウルトラクイズ体験記

   
【33】戦いが終わって

「カーット!」
 20分も経っただろうか。ようやくカメラが止まり、今日の収録がすべて終了。
「お疲れさまでした~」
 スタッフがそれぞれの持ち場から僕らの前に集まってきて、記念写真の撮影だ。
 プロデューサーの廣田さんが、今まで話すことのできなかったスタッフたちが、「おめでとう。いい勝負だったね」と声をかけてくれる。

 下のレストランには軽い食事と飲み物が用意されており、スタッフやグリニッジ・ハイスクールバンドの人たちと一緒にささやかな打ち上げパーティーが始まる。
 福澤さんに優勝記念のサインをもらったり、写真を撮りあったり、旅の想い出話をしたりするうち、スタッフの一人がピアノを弾き始め……。
「この時間っていいですよね~」
「ああ、ええなあ~」
 プリンセス号が桟橋に戻るまで、とても充実したひとときを過ごすことができた。

 ホテルまでは、初めてスタッフと同じバスに乗り込む。
「CP(チーフプロデューサー)のおごり?」
「明日ゴルフに行く人は……」
「ミュージカルのチケットは……」
 収録が終わった開放感で、車内は賑やかというよりうるさいほどだ。

 一旦部屋に戻って着替えをし、大西さん、僕、スタッフの阿久津さん、ツアコンの遠藤さん、柳原さんの5人で打ち上げへ。
 ウルトラ挑戦者御用達の店「サッポロ」に入り、ラーメンとギョウザを食べる。お腹が空いていたうえに、どちらも長い間ご無沙汰していたので、とにかく美味しかった。

 それにしても、今日はなんて劇的な一日だったのだろう。
 勝ち取ったものがあまりにも大きく、自分でもうまく掴めないし、言葉でなんかとても表せないが、この日、1992年9月20日を、僕は一生忘れない。


【34】大西さんとの別れ~ひとつの旅の終わり~

 9月21日。6時半に起床。
 本当は「結果は放送を見てのお楽しみ」としておきたかったが、相手が人脈豊富な大西さんではそれは無理なので、クイズ研の会長・秋田に勝利の報告をする。
 それから実家にも電話。母は事の重大さがよくわかっていないようだったが、とにかく「おめでとう」と言ってくれた。

 今日はマイアミ以来のオフで、一日中観光ができる。
 前回の能勢さんは、決勝の翌朝4時起きで賞品地へ向かい、準優勝の松原さんだけニューヨーク観光ができたそうだが、今回は二人一緒でラッキーだ。

 スタッフに『地球の歩き方・ニューヨーク』をもらい、街へ。
 ファーストフードで朝食を済ませ、5番街を歩く。
 ティファニーに入ると、明るく綺麗な店内には日本人の姿がやたら目につく。
 大西さんは奥さんに指輪を購入。サイズを聞かれ、「ライク ホワイトフィッシュ」などと言っていたが、通じたのかどうか。僕は何も買わずに雰囲気だけを楽しんだ。

 一旦ホテルに戻り、柳原さんと合流。3人で自由の女神を目指す。世界中を飛び回っている柳原さんも、自由の女神には行ったことがないそうだ。
 タクシーに乗り、ロウアー・マンハッタンへ。バッテリーパークからは30分毎に船が出ていて、自由の女神の入場料込みで往復6ドルだった。
 プリッツェルをかじりながら船に乗り込むと、15分でリバティ島に到着。
 階段とエレベーターに向かって2つの列ができており、エレベーターの方はとても長い。
 エレベーターは途中の台座(10階)までで、冠(22階)を目指す僕らは階段で行くしかないが、途中からは一人通るのがやっとの狭い螺旋階段になるため、列がなかなか進まない。
 やっと冠の部分にたどり着くと、そこは1畳ほどの広さしかなく、後ろがつかえているので、外をチラッと見て、写真を撮って、すぐに下りるだけだ。
 やはりこれは外から眺めるもので、中に入るものではないという気がする。
 ただ、台座部分にある博物館の展示は見応えがあり、問題のネタの一つや二つは転がっていそうだ。実際、第1問の解説に登場した「似非自由の女神硬貨」も並んでいた。
 軽く食事をしてギフトショップを覗くと、自由の女神グッズの宝庫で、何を買うか迷ってしまう。
 もちろんTシャツはしっかり買い込み、グアム以降、キャメロンパーク(ある訳がない!)を除くすべてのチェックポイントの御当地Tシャツ(地名が入ったもの)を揃えることができた。

 結局、自由の女神ではかなりの時間を費やし、あとはいろんな店を覗きながら街をぶらぶら歩き、一旦ホテルに戻る。
 遠藤さんも合流し、4人で寿司屋で夕食。それからブロードウェイ・シアターへ。ツアコンの2人のおかげで『ミス・サイゴン』のオーケストラ席が65ドルで手に入ったのだ。
 20時に開演。二人の言葉通り、セリフが聞き取れなくてもストーリーはわかりやすく、3時間がとても短く感じられた。

 ホテルに戻り、大西さんの部屋へ。
 明日は僕が6時、大西さんが8時と別々の出発なので、お別れの挨拶をする。
 今回の旅では多くのかけがえのないものを得ることができたが、大西さんと知り合えたことも、その一つだ。この人がいるだけで、どれだけ旅の楽しさが増したことか。
 日本での再会を約束し、固く握手。

 この瞬間、ひとつの旅が終わった。


【35】『ツインピークス』の舞台へ/ニューヨーク→シアトル

 9月22日。
 チェックアウトの手続に行くと、コンピューターが壊れて電話代が請求できないらしい。
「もっとかけまくっておけばよかった!」
 福澤さんと二人で悔しがる。

 朝6時にホテルを出発、バスでケネディ空港へ。
 萩原さん、廣田さん、柳原さんをはじめ、スタッフのほとんどは大西さんと一緒に帰ってしまい、この先は、福澤さん、下芋坪さん(プロデューサー)、遠藤さん(進行)、古井戸さん(TD)、清さん(演出)、一本さん(カメラ)、岡藤さん(音声)、棟方さん(FD)、キムさん(現地スタッフ)の9人だけが同行する。
 隣の席は福澤さん。僕がフォルクローレをやっていることを話したら、福澤さんも民族音楽が好きなのだそうだ。
 
 空港のファーストフードでスタッフに囲まれての朝食。
 誰かがファックスで取り寄せた日本のニュースが回ってくる。気になるのはプロ野球だが、我がヤクルトスワローズはまだてこずっているようだ。
 僕が初めてウルトラクイズを真剣に見たのとヤクルトファンになったのは、奇しくも同じ小学校6年生の時で、もしヤクルトが優勝すれば、十年来の夢が今年2つともかなうことになる。

 9時発のユナイテッドでニューヨークを後に。珍しく空席が目立つ。
 時差の関係で12時頃、シアトル・タコマ国際空港に到着。一旦ホテルへ向かう。
 今日から3泊はシェラトンのシングルで、今までは「CHALLENGER」や「GAME PLAYER」となっていた名前が、ここでは「CHAMPION」になっているのがいい気分だ。

 スーツに着替えてくるよう言われ、上はスーツ、下はジーンズという中途半端な格好でロビーへ。これからどこへ行って何をするのかスタッフに聞いても、ニヤニヤするだけで教えてくれない。
 今回のオチは「自分でブドウの木を植えなさい」あたりだと思っているのだが。

 僕と遠藤さんは、何者かはよくわからないが風格のあるおじさんのビュイックに、スタッフはキムさんのワゴンに乗り込む。
 すぐに街を抜け、フローティング・ブリッジでワシントン湖を渡り、インターステート・ハイウェイ90号を東へ。自動車電話がしきりになる。忙しい人のようだ。
 マクドナルドに寄り、車内で昼食。いつしか田舎道に入り、何もない山道の途中で止まると、おじさんはいなくなり、遠藤さんと二人取り残される。
 こういう時の緊張感はクイズの前と似ているが、クイズの場合はこれから同じことに挑戦する仲間がいて、あれこれ予想して気を紛らすことができたのに比べ、今は独りぼっちだ。なんともいえない淋しさと不安は隠しきれない。
 待つこと30分ほどで、ようやくスタッフが現れ、服にマイクをつけられる。そして今度は遠藤さんがハンドルを握って山道を登ると、すぐに見晴らしのいい場所に出て、前方に真新しい建物が見える。

 スーツにジーンズにナップザックという、「何をするつもりやおまえは?」と言われそうな格好で歩いていくと、建物前の芝生のスペースにテーブルと椅子が2つあり、福澤さんが待ち構えていた。
「さあ、田中オーナー、どうぞこちらへ」
 慣れない呼ばれ方に照れながら、椅子に座る。
「後ろを向いてごらん。あの山に何か見覚えはないかい?」
「さあ、特に……」
 福澤さんにあれがツインピークスだよと説明され、納得。
 ドラマはまったく見たことがないが、シアトル郊外のスノコルミーという町が舞台だということは、以前雑誌で読んだことがある。
 そして、ここの建物は、僕の畑で採れたブドウから作ったワインの販売所だと教えられる。
 さっきのビュイックのおじさん(どうやらシアトルの旅行会社の社長らしい)がゴールドメダル受賞の赤ワイン、カベルネ・ソービニヨンを持って再び現れ、テイスティング講座。不器用な僕はグラスがなかなか上手く回せず苦労した。
 撮影が終わり、福澤さんと写真を撮りあってから販売所を覗く。
 飾ってある賞状やメダルを眺め、お土産にコークスクリューをいくつか買った。

 今度はスタッフのワゴンに同乗し、ドラマにも登場したというスノコルミー滝へ。落差約80メートルのこの滝は、日本へ持っていけば立派な観光地になりそうだが、アメリカでは大して珍しくもないのだろう、人影はまばらだ。たった一軒の食堂兼土産物屋にはツインピークス・グッズが並んでいたが、ブームはもう過ぎ去ったようだ。

 帰り際にスノコルミーの町をぐるぐるまわりながら、町並みの撮影。スタッフと一緒に行動していると、ほんの数秒のシーンの撮影にどれほど時間と手間がかかっているかがよくわかる。 
 撮影が終了し、ホテルに戻ったのは18時頃だった。

 夜は遠藤さんと日本料理店「日光」へ。鮭雑炊が美味しかった。
 最初は一人20ドルが目安だと言われていた夕食も、ここまで来ると食べ放題だ。