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『クイズマガジン21』は

クイズ作家・田中健一のオフィシャルサイトです。

Ultra Quiz アメリカ横断ウルトラクイズ体験記

   
【0】大西さんとの出会い

 大学3年生の夏だった。
 1992年7月19日。ミリカホール。
 この日僕は、『ギミア・ぶれいく』「史上最強のクイズ王決定戦」大阪予選に一人で乗り込んだ。

 第1関門の筆記予選を突破し、舞台の上に呼ばれた時、隣にはカーディガンにネクタイ姿のおっさんが立っていた。
 その時は知る由もなかったが、これが大西さんと僕の出会いだった。

【1】夜勤明けの朝に/東京ドーム・第1次予選(1)

 8月9日。『第16回アメリカ横断ウルトラクイズ』第1次予選。
 僕はこれが4度目の挑戦だ。
 午前3時15分、いつものように郵便局の仮眠室で目を覚ました僕は、第1便の処理を済ませたところで早退し、始発電車で家に戻った。
 ウルトラクイズの第1次予選の日といえば、今までは一年中で最も胸躍らせる日だったが、今日はあまり気が乗らない。
 決してウルトラクイズに対する熱意が衰えた訳ではないが、そろそろ学校の勉強も本格的に始めなければならないし、今年は何かと忙しい。だから、ドームを突破するのは来年以降でいい。今日は気楽に参加しよう。
 そんな訳で、クイズ研の例会に出かけるような軽い気持ちでドームへと向かった。

 待ち合わせの7時に少し遅れて黄色いビルの前へ。クイズ研の連中と合流する。
 本来のセットが風に飛ばされ、急造のセコいセットで第1問が発表された。

「ニューヨークの自由の女神像、STATUE OF LIBERTYがアメリカ合衆国の硬貨に描かれたのは、1986年、100周年記念の時が初めてである」

 もちろん、そんなことは知らないが、ごく素直に考えれば○だ。
 100年間もアメリカのシンボルとして立っている自由の女神だ。一度くらい硬貨のデザインになっていても不思議じゃない。だから、答えが×だったら、何の面白みもない問題となってしまう。
 それにもし、100周年記念以前に自由の女神をデザインした硬貨があるとすれば、絶対に知っている人がいるだろう。それも一人や二人じゃないはずだ。とすれば、この問題は怖くて使えないんじゃないだろうか。
 去年は考えすぎて失敗したことだし、今年はあっさり○に決めた。

 亜細亜大学吹奏楽団の演奏でオープニングセレモニーが始まる。
「ニューヨークへ、ジャストミーーート!」
 司会者・福澤朗アナウンサーの派手な入場。
 今年の通過者はズバリ、キッパシ、ピッタシ、キリよく100人という宣言の後、お約束のあれが始まる。

「ニューヨークへ行きたいかあ~!」
「オー!」
「罰ゲームは怖くないか~!」
「オー!」
「何が何でも、第1問、突破するぞ~!」
「オー!」
 この時だけは○も×も関係なく、ドームが一つになる。僕の大好きな瞬間だ。

 ウルトラのテーマ曲に乗って、前チャンピオン・能勢一幸さんの登場。
 「クイズおたく」改め「スケベおやじ」能勢さんは×のスタンドに走り込み、「疫病神」蓑原さんは○のスタンドにいることが確認される。当然×側は大いに活気づき、○側はおとなしくなったが、僕はなぜか自分が間違っている気がしなかった。
 最終人数は○が10842人、×が15279人。
 散々じらされ、いよいよオーロラビジョンに答えが。

「○」

「ヤッタァー!」
「ヨッシャー!」
 狂喜乱舞する僕らには、福澤さんの説明なんか一言も耳に入らない。
 たかが○×クイズに1問正解しただけじゃないか、何がそんなに嬉しいんだろうと思う人もいるかもしれないが、この瞬間の嬉しさは、体験した人にしかわからない。だから、同じドームで負けるにしても、1問目で間違うのと2問目以降で間違うのとでは、大きな隔たりがあるのだ。
 
 この問題、後で冷静に考えれば、いつもはない「STATUE OF LIBERTY」という文字が入って限定が強くなっているのがポイントだった。この時は人づてに問題を聞いたので、それを意識しなかったのだが、やはり問題は一字一句丁寧に吟味すべきだと改めて思う。
 また、僕は知らなかったが、「私は(100周年記念以前に自由の女神がデザインされた)コインを持っている」「カタログに載っていた」などのデマが流れ、それを信じて間違えてしまった人もかなりいるようだ。
 答えを知っているなどと言う人がいれば飛びつきたくなるのは当然だが、人を見る目も必要だろう。そして、後悔したくなければ、人の意見に左右されず、自分の意思で行動することだ。

 喜んだのも束の間、すぐに第2問が出題される。
「アメリカの象徴『自由の女神』。もちろんアメリカ海軍には、現在その名を持つ軍艦がある」

 これはすぐに×と判断。もし○なら、「STATUE OF LIBERTY」の文字がないのがおかしい。
「じゃあ、アメリカでも、“JIYU・NO・MEGAMI”と呼んでるのか、ええ?」などとケチをつけられると困るからだ。
 屁理屈だと言われるかもしれない。でも1問目にあっただけに、2問目にないのは納得できなかった。
 問題文に「もちろん」とあるのがほんの少しひっかかったが、自信を持って×だと言うクイズ研の竹原賛と一緒に、早々とグランドに下りた。

 答えは……「×」。
 4度目の出場で初めて2問目を突破できた。

【2】人工芝上の攻防戦/東京ドーム・第1次予選(2)

 3問目は僕にとっては記念すべき問題だった。
 自由の女神に関係のない問題に挑戦するのは、これが初めてなのだ。
「オリンピックのメダルとノーベル賞。両方とも獲得した人は1人もいない」

 これは楽勝。フィリップ・ノエル・ベーカー卿ただ1人だが、存在する。
 僕はこの間サンスポで読んだばかりだが、他にも知っている仲間がたくさんいた。

 4問目。
「13日の金曜日は毎年必ずある」
 
 考える時間はあまりないが、竹原が電子手帳を出して調べだす。
「過去2年はあるで……」
「そんなもん何の参考にもならへんやんけ!」
 結局ギリギリまで迷って、ホイッスルと同時に○に飛び込んだ。

 答えは……「○」。
 これは後から聞いた話だが、「13日が金曜日」と考えるとややこしいので、「1日が日曜日」と考える。そうすると、1日の曜日は(不規則ながら)毎月ずれていくので、うるう年であろうとなかろうと、1年12ヶ月のうちに最低1度は1日が日曜日になる。だから○だというのだ。
 言われてみると確かにそうだが、あの場面で、あの僅かな時間でこれだけのことを冷静に考えるのは難しい。勘に頼ってしまったのは恥ずかしいが。
 後から思えば、この問題がいちばんのヤマだったことになる。

 5問目は放送されなかった問題。
「よく似た制服の警察官とガードマン。その数はもちろん警察官の方が多い」

 これは考えればわかる。警察官の数ははっきりしている。でも、ガードマンというのは、そもそもどこまでをガードマンと定義するのか不明瞭な以上、「正確な数」は存在しない。
 とすれば、はっきりガードマンと言い切れる人の数だけで警察官の数を超えていなければ問題にはできないはず。「ガードマンの方が少ない」というのを正解にすると、見方によっては覆ってしまう可能性があるからだ。
 去年までガードマンのバイトをしていたこともあり、そんな考えが一瞬で頭をかけめぐった。
 答えは「×」。
 自己記録がどんどん更新されていく。

 年齢層チェックの後、6問目。いよいよ○×走りクイズだ。
「『シンデレラ』と『眠れる森の美女』。原作者は同じである」

 僕は答えを考える前にダッシュし、赤と白のボールを1つずつナップザックに詰め込んだ。せっかくここまで来たんだ。記念品くらいは欲しい。
 さて問題だが、どこかで聞いたような気がするし、素直に考えれば○だ。これは×だったら何の面白味もない問題だから。
 この時点でクイズ研の生き残りは9人いたが、僕がボールを拾っている間に6人が×へ行ってしまったようで、僕と一緒に○へ来たのは鎌田統と伊東直哉だけだった。

 答えは……「○」。
「やったあ~!」
 3人でがっちり握手を交わす。
 理系分野に関してはとても頼りになる竹原がいなくなったのは痛いが、この問題では約4分の3が×へ行って人数が激減し、僕は初めてドーム突破を意識した。
 
「夢を現実にいたしましょう」
 福澤さんの声が胸に響く。
 もう7問目だ。ここまで来たら負ける訳にはいかない。
「勝ち力士がもらう大相撲の懸賞金。袋の中には現金が入っている」

 これはまず『カルトQ』「大相撲」に出たこともある相撲ファン、伊東の意見を聞く。
「○だと思うけど……」
 伊東も100%自信がある訳ではないようだったが、僕も○のような気がした。○×の基本は「意外性」だからだ。
 3人で○のサークルに飛び込む。
 答えは……「○」。
 人数チェックとともに、辞退者は今のうちに申し出るように言われる。もしここで黙っていて100人に残ってから辞退すると、もう二度と出場できなくなるそうだから、注意が必要だ。

 残るは202人。大事な大事な8問目。
「乾電池の単1、単2、単3。長さはすべて同じである」

「何やそれ?」
 思わず気が抜ける。単2と単3は確かに微妙だが、単1は明らかに背が高いだろう。僕の部屋には単1と単2の電池を並べて置いていたことがあるから、絶対に自信がある。
 当然みんな×に殺到するだろうと思ったのに、半分ほどが○へ。

 答えは……「×」

「やったぁ~!」
 人数のカウントが始まる。
「……86、87、88」
「やったぁ~~~!」
 今日一日で何度この言葉を発したことか。
「ジャストミーーーーート!」
 3人ではしゃぎまくる。
 東大クイズ研からは第13回以来のドーム突破だ。
 スタッフにパスポートを預け、憧れの勝者席へ。
 
 後は野となれ山となれ、の9問目。
「オランダの首都アムステルダムは、アムステルという川にダムが造られたためにこの名がついた」
 
「そんな訳ないやん。ほんならロッテルダムはロッテル川にダムができたからか? ×に決まってる」
 僕は自信を持って言った。これはドロンコでよくある「そんなバカなことがあるか」問題に違いない!
 ところが答えは「○」。
 あ、危なかった。8問目を間違えていればここで一巻の終わりだった。
 ちなみにこの問題は、第13代チャンピオンの長戸勇人さんがまったく同じ問題を作ってサークルの例会で出題したことがあるそうだ。今回は2問目で散ってしまったが、さすがは長戸さん。

 その後10問目、11問目と常識問題が続き、あっさり100人が決定。
 グラウンドに下りて万歳三唱をした僕たちは、説明会場の後楽園会館へ向かった。

 後楽園会館では弁当とお茶が配られ、履歴書、健康表、ビザの申請書類などに記入させられ、プロデューサーや近畿日本ツーリストの人による説明が行われた。
 その後、挙手によって、男女比、カップル、大学生、クイズ研所属者など様々なチェックがあった。
 1つのクイズ研で大量に残っているところはなく、名前の通った人もいないようだ。
 余談だが、この時、他人の弁当をひっくり返したそそっかしい人物がいた。誰かって? 溝、いや、彼の名誉のためにも書くのはやめておこう。

 最後に登録番号の抽選が行われ、僕は14番、鎌田は36番、伊東は90番。とりあえずジャンケンで対戦することはなさそうだ。
 説明会が終わったのは16時過ぎで、さすがにぐったりしたが、祝勝会へ。
 「優勝を狙います」とはっきり宣言し、勧められるまま、滅多に飲まないビールを飲んだ。といってもほんの少しだが、僕には十分な量で、帰りはタクシーのお世話になった。
 
 暑く長い一日だった。