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『クイズマガジン21』は

クイズ作家・田中健一のオフィシャルサイトです。

Ultra Quiz アメリカ横断ウルトラクイズ体験記

   
【6】初めての飛行機に酔う/成田→グアム・機内400問ペーパークイズ

 午前10時、45人の敗者に見送られてANA911便は離陸した。一般客はひと握りで、ほとんどはウルトラ関係者だ。グアムは台風15号の直撃を受け、観光客は一切受け入れ拒否という状況だったのだ。
 水平飛行に移るとすぐに機内ペーパークイズが始まる。
 形式はいつものように400問。200問ずつ前後半に分けて行われ、制限時間はそれぞれ20分。つまり1問あたり6秒。解答用紙は両面で、片面100問ずつ。書き直しは最初の答えに大きく×をつけ新たにマークすれば認められる。

 僕は真ん中の席で、前後も左右も狭くてやりにくかったが、書き直しOKなのでハイペースでどんどん解いていった。わからない問題は考えるだけムダなので、特に理由はないが全部3番にした。
 前半の200問を解いてしばらくして「あと5分」という声がかかる。ちょっと飛ばしすぎたかもしれないが、3番にマークした問題をもう一度見直していたら、ちょうど時間になった。
 前半が終わってすぐに大きな揺れが続き、気持ち悪くなる。体調を崩して「放棄」という形になったかわいそうな人も何人かいたようで、僕も後半は酔ってフラフラ。簡単な問題が多く、前半よりもさらに速いペースで解くことができたが、終わった時にはもうダメという状態だった。

 この時、僕の左隣は横国大の高石、右隣は大阪弁の兄ちゃんで、この兄ちゃんはたぶん年上だろうと思って敬語で喋っていたら、実は19歳ということがわかる。そう、この良く言えば貫禄のある、悪く言えば老けた若者こそ、溝渕浩城だった。
 溝渕は機内食をガツガツ食べていたが、僕はサラダに手をつけるのが精一杯。スチュワーデスはよくこんな状態で仕事ができるもんだと感心してしまう。

 福澤さんが登場し、グアムの空港の現状を説明して、重大発表。
「ウルトラクイズ16回目にして初めて、みなさん全員にグアムに降りていただきます!」
 みんな大喜びしたのはよかったが、空港のレーダーが壊れているらしく、飛行機がなかなか着陸できない。
 機長のアナウンスが入る。
「滑走路の視認が困難な状態です。もう一度挑戦してだめな場合は成田に引き返します」
 冗談やないで! こんな状態であと3時間も乗ってるんか! という願いが通じたのか、4度目の挑戦でようやく着陸に成功。みんなから拍手が起こった。

 税関を出て、外の待合室へ。そこからの眺めは特にどうってことはないが、僕にとっては初めての外国だから、少し感動した。
 ドルを持っていなかった僕は、山名と一緒に両替窓口へ。手数料4ドルを取られ、1万円が68ドル98セントになった。
 1時間ほど待たされ、2台のバスに分乗させられる。
 走り出すと、台風の爪痕があちこちに残っていて、痛々しい。ボロボロに壊れた家、倒れた椰子の木、機能しない信号……。リゾートアイランドの趣きはまったくなかった。

 バスは宿泊先のリーフホテルの手前でストップ。もう1台だけがホテルに向かう。降りる時にブーブーゲートのようなものをするようだ。
 同じバスには、大西さん、鎌田、山名、原たちが乗っていて、誰からともなく答え合わせが始まる。さっきやったばかりの割には、みんな問題をあまり覚えていなかったが、鎌田が持っていた長戸本の3択を手がかりに、よく似た問題を思い出していった。
 結果は、大西さん、原、僕がほぼ互角といったところか。
 答え合わせのネタも尽きた頃、ついにバスが動き出した。
 リーフホテルの玄関前に着くと、先のバスから勝ち抜けた人たちが立っていて、その人数を数えると、こっちのバスから何人落ちるかわかってしまう。機内トップの鉢巻は誰もしていないようだ。

 ブーブーゲートのお友達、ブーブーステップの判定に一喜一憂が繰り返され、やがて大西さん、原、鎌田と有力者が続々降りるが、誰もトップじゃない。
 そして、いよいよ僕の番になった。
「できました?」
「いやあ、飛行機に初めて乗ったんでフラフラで……」
 とりあえず言い訳をしながらも、僕は見逃さなかった。ADの山川さんが福澤さんに鉢巻を渡すのを。
「さて田中君、あなたは機内ペーパークイズNO1!」
「え~っ? 本当ですか?」
 少し感動が薄らいだが、嬉しかった。大西さん、鎌田、原、荒井たちを抑えてのトップは値打ちがあるし、スタッフや他の挑戦者に名前を覚えてもらえるのが何よりも大きい。
 点数に関してはスタッフは教えてくれなかったが、帰国後に本を見て、できる限り忠実に解き直してみたら、300点にも満たなかった。そんなものかと思われるかもしれないが、そんなものなのだ。

 通過者40人で万歳三唱。
 今日は長い一日だったが、これでやっとゆっくりできる。
 誰もがそう思ったはずだ。
 でも、本当に辛いのはこの後だった。台風のため、ホテルは停電・断水というダブルパンチを食らっていたのだ。
 とりあえず全員に「六甲のおいしい水」のペットボトル、各部屋に1つずつ懐中電灯が配られた。自家発電装置はあるのだが、それも壊れていて(何のための自家発電や!)、エレベーターも止まっている。
 重いスーツケースを持って5階まで階段で上がり、真っ暗な部屋のテーブルに懐中電灯を立てて明りにする。もちろん部屋のバス・トイレは使えず、トイレは1階の1ヶ所、シャワーはプールの横にあるものだけがかろうじて使用可能だった。
 
 荷物を置き、みんなで夕食へ。
 メニューはみんな同じで、苦いサラダとステーキ・アンド・ロブスターだった。
 その後、ホテルのロビーで、機内ワーストのマダム・小澤晴美さんときれいなお姉さん・高吉早希子さんに、「あなた、優勝するかもしれないから……」と言われ、一緒に写真を撮った。
 今日一日でたくさんの友達ができた。明日で半分近くになってしまうのはとても寂しい。
 
 真っ暗な部屋では何もできず、シャワーを浴びて早々にベッドに入る。
 同室の奈良交通・高橋さんと話をするうち、いつしか眠りに落ちた。


【7】疑惑の解答/グアム・空席待ち早押しクイズ

 9月1日。
 まだ暗いうちに目が覚めた。
 バルコニーに出て、尾崎豊を聴きながら夜の海を眺める。
 ああ、今外国にいるんだなあとしみじみと実感する。

 ゆっくりゆっくり夜が明けた。
 砂浜にドロンコのボードが立っている。
 待てよ、挑戦者の泊まっている部屋から見下ろせるところに作るなんて聞いたことないけどなあ、おかしいなあと思う。
 そのうち、○×ボードの後ろに早押し機が見えたという情報が入る。しかも、それが2台と言う人もいれば、3台だと言う人もいる。とにかく早押し機があるのは確かなようだ。でも、ドロンコのボードは確かに立っている。いったい何をするのか? みんな混乱する。

 1階のレストランで朝食をとり、ロビーに集合。
 重いスーツケースを持って砂浜へ。知らない人が見ればクレイジーな集団だ。

「今年のグアムは、いったい何を行うのか?」
 福澤さんにそう聞かれると、みんな早押し機を見たことはすっかり忘れて、「ドロンコしかないでしょう」などと言い出す。
「今年のグアムはこれだ~」
 その声とともにボードが倒れ、確かに3台の早押し機が……。
「え~っ、ほんまに?」
 などと僕は言いつつ、内心ニヤリ。ドロンコよりはいいに決まっている。

 形式は順番待ち早押し。1ポイント先取。誰かが抜けた場合は残りの2人、スルーの場合は全員、お手付き・誤答の場合はその人だけが後ろにまわる。
 最初の順番は抽選で、僕は35番。相変わらず引きが弱い。木ノ下さんは1番、鎌田は2番を引いたが、この差はとても大きい。
 どの列に並ぶかは自由で、迷ったが、人数の少ない列よりもたくさん抜けそうな列を選ぶ。
 このルールだと、とりあえず2度は確実に回ってきそうだ。でも、3度目はわからない。1度目でダメだと2度目は焦るだろう。何としても1度目で決めないと。

 1巡目、鎌田はダメだったが、原や大西さんはあっさり通過。
 そして最後尾の僕に順番が回ってきたとき、隣には2巡目の鎌田がいた。よりによってこんなところでぶつからなくてもいいのに。

「川柳で『かかあ箪笥の鍵を開け』といえば、買おうとしている魚は何?」

 鎌田と僕はほぼ同時に押し、鎌田が勝ったが誤答。でも実は、僕の頭の中にあった答え(恥ずかしくて書けない)も間違いだった。いわゆる「押し負けラッキー」だった。
 鎌田が山名にかわり、次の問題。

「お椀を舟にして川を下ったのは一寸法師。では、お椀にお湯を入れてお風呂にしていた水木/しげる……」

 押したのは僕。
「鬼太郎の親父!」
「もっと詳しく」 
 福澤さんがそう言うのと同時にピンポンが鳴った。スタッフはそれでいいと判断したようだが、確かにいい加減な答えだ。福澤さんのカードには「目玉親父」しか書かれていなかったのだろう。
 この後、僕が散々バカにされたのは言うまでもない。

 結局、鎌田は3度目のチャレンジで、タイムオーバー寸前で正解。荒井も最後のチャンスで勝ち抜けた。
 終わってみれば、大西さん、鎌田、原、荒井、僕の5強?は順当に残ったが、「ここ一番で脱ぐ」山名や同志社クイズ研会長の飯居君、クロネコヤマトの藤井さん夫妻、そして機内女性トップの九州大学・徳山さんたちが負けてしまった。女性で残ったのは「接吻マダム」小澤さんと「若妻」高吉さんの2人だけというのは寂しすぎる。

 土産物屋を覗き、サンドイッチで昼食の後、初の自由行動。
 みんなでビーチへ行って遊ぶ。
 僕が「海で泳ぐのは5年ぶりくらいかなあ」と言ったら驚かれたが、さらに上手がいた。東洋大の千代田は海で泳ぐのが初めてだったのだ。
 夕食は日本料理。みんながすき焼きを食べる横で、黒川さんと僕だけは天ぷら定食。同じ肉嫌いの黒川さんが残っているのは心強い。

 ホテルに戻ると誓約書が配られる。
*日本へ帰った敗者とは連絡を取り合わない。
*クイズの内容について放送前に喋らない。
*放送が終わるまで他のクイズ番組には出ない。
*優勝者は1年間、他のクイズ番組には出ない。
*優勝者は来年も必ず参加する。
 といった内容で、書く・書かないは自由だが、こんなことでスタッフの心証を悪くしても馬鹿馬鹿しいから、みんな素直に書いていた。

 ホテルには電気と水道が復活。これほど文明のありがたさを感じたことがあっただろうか。
 夜はみんなで1つの部屋に集まり、大西さんが持ってきた「ピクショナリー」というゲームで遊んだ。これは、いくつかのチームに分かれ、各チームの代表が引いたカードに書かれている言葉を絵に描いて説明し(ジェスチャーでもやった)、残りのメンバーがそれを当てるというゲームで、これが実に面白い。とんでもない絵を描いてひんしゅくを買う人、逆に、すごく冴えた絵を描く人。
 大いに盛り上がった一夜だった。


【8】日付変更線を越えて/グアム→ハワイ

 9月2日。
 午前中はフリー。
 僕は大西さんや鎌田たちと部屋で遊んだ。

 午後、空港に向かい、2度目の飛行機でホノルルへ。今度は酔わなかった。
 日付変更線を越えたので、ハワイに着いたのはグアムを出たのと同じ9月2日の早朝。少し得をした気分だ。
 空港での待ち時間は、無料配布していた日本語ガイドを見て過ごす。日本では御当地問題の勉強は一切していないし、ガイドブックの類も持ってこなかったから、もう行き当たりばったりだ。

 バスに乗って観光へ。
 もちろん、観光といっても勝手な行動は許されず、「拘束」に近い。そしてスーツケースを持って移動している以上は、いつクイズがあるかわからず、油断できないのだ。
 運転手は小錦のいとこだということで歓声が上がるが、大西さんは過去2回ハワイを訪れ、2回ともバスの運転手は小錦のいとこだったそうだ。偶然同じバスなのか、騙されているのか、小錦のいとこが100人くらいいるのか?
 ハイウェイから見渡す島の風景は、とても洗練されている。看板や広告などの無駄なものがないし、市街地も美しくまとまっていて、いい感じだ。

 宿泊先のアラモアナホテルで昼食。サラダ、マヒマヒという魚、アイスクリームはどれも美味しかったが、クイズに備えて腹八分目にしておく。
 食事が終わると、松村邦洋に似ているバウバウ海渡ドクターの部屋に行って血圧と脈拍の検査をするように言われる。カメラも入ってきたから、これは次のクイズに関係があるに違いない。チーム対抗のチーム分けか、1対1の組み合わせを決めるのに使うのだろう。

 午後は下芋坪プロデューサーに連れられてビーチへ。そこでは、それぞれどれくらい泳げるのか聞かれ、しばらく海で泳いでくださいと言われる。
 嫌な予感がする。次のクイズはいったい何をする気だ?
「50メートル先の早押しボタンまで泳いで行くのがええなあ」
 スポーツ万能の大西さんはとんでもないことを言うが、僕は困る。泳ぎは苦手なのだ。

 ロブスターで賑やかな夕食。
 そして、晩は部屋から一歩も出ないようにと言われる。
 僕らはここまで、グアムの二晩も奇襲を警戒していたが、当然、この晩は最高に警戒した。
 でも、スタッフの方が上手だった。
 これは伏線に過ぎなかったのだ。