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『クイズマガジン21』は

クイズ作家・田中健一のオフィシャルサイトです。

Ultra Quiz アメリカ横断ウルトラクイズ体験記

   
【3】渡航まで

 日本にいる間にすべきことは山ほどあった。

 クイズに関しては3択に重点を置いて勉強した。ジャンケンに勝てば次は機内ペーパークイズ。ここでトップになれば、たとえ優勝できなくてもウルトラの歴史に少しは名前が残るはずだから。
 そして首尾よく本土に上陸すれば、重要なのは御当地問題と時事問題だ。
 御当地問題は勉強する気が起こらず、結局何もしなかったが、時事問題については、産経、サンスポ、毎日の3紙のほかに『新聞ダイジェスト』『ニュースファイル』『ダカーポ』『SPA!』『週刊文春』などの雑誌を普段から読んでおり、絶対の自信があった。
 それと並行して、後輩の上野裕之に借りた過去のビデオを見て士気を高めるとともに、ジャンケンの研究も怠らなかった。

 8月23日には『第5回FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』の予選があり、前回に続いて2度目の通過。
 ウルトラのドーム通過者は申告するよう言われ、僕の他にもう一人、アライヒロフミという男が名乗り出た。要注意なのは間違いない。

 海外に行ったことのない僕は、旅行の準備も大変だった。
 スーツケースは、最初は借りようと思ったのだが、考え直して自分で買った。砂浜であろうと砂漠であろうとスーツケースを持って移動させられるウルトラツアーでは、汚れたり傷がついたりするだろうと思ったからだ。
 1ヶ月間引きずりまわした僕のスーツケースは、かなりくたびれてしまったから、この判断は正解だったと思うが、レンタルした大西さんは返す時に何も言われなかったとか。
 靴は、かなりいい値段のスニーカーを買ってバイト中に履き慣らし、他にも洗濯セット、梅干、「ユンケル」4本、食事が肉だけだった時に備えてカロリーメイトなどを買い込んだ。
 僕は体質上、ふつうの肉が食べられないので、食事に対する不安は大きかった。挽き肉なら食べられると言うと怪訝な顔をされるが、これだって少しずつ「練習」した結果なのだ。
 こんなにいろいろ買い揃えて、ジャンケンで負けたらバカみたいだが、勝ち進んだ時にはきっと強い味方になってくれるだろう。

 そうこうするうち、あっという間に3週間が過ぎた。

【4】先の見えない旅が始まった/東京→成田

 8月30日。
 池袋で伊東と待ち合わせ、18時30分過ぎ、日本テレビ四番町別館に到着。
 受付で憧れの名札をもらい、荷物を預け、指示された部屋へ。
 100人入るのがやっとの小さな部屋には椅子がびっしり並んでいて、もう7割ほど埋まっていた。
 19時までに100人全員がきっちり揃い、プロデューサー、近ツリの人、ドクターから簡単な説明。「問題の2割は御当地に関するもの」だそうだ(大嘘)。
 バスの発車までしばらく時間があったので、東大の3人で集まって話していると、7番の大西さんから声をかけられた。
 名前も顔もどこかで見たような……。
 そうか! 『FNS』に着物で出ていた人か!
 この時の大西さんはポロシャツ姿で、かなりイメージが違い、わかるまでにしばらく時間がかかった。大西さんは社会人になってからクイズを始めた人で、『FNS』の予選会場で永田喜彰さんに誘われ関西クイズ愛好会に入会。クイズ番組の常連だ。
 さらにRUQS(立命館)の原一道や同志社の連中も加わり、談笑する。

 バスは1~30番、31~60番、61~100番と3台に分乗で、僕は1号車に乗り込んで適当に座ろうとすると、最後部にいた大西さんに呼ばれた。
 最後部の席には、明大の山名、大西さん、僕、新潟大の田代が座った。田代は唯一の2年連続東京ドーム通過者で、去年はジャンケンで敗退。『FNS』の一対一早押しであの門田雅志さんに勝った実績がある。
 こうして少しずつ他の挑戦者が掴めてくると、思った以上に強い人間がたくさん残っているようだ。『FNS』の予選通過経験者だけでも、大西さん、鎌田、原、田代、荒井、僕と6人もいる。まだまだ知らない人がほとんどだし、かなりハイレベルな戦いになりそうな予感がする。

 バスが発車してすぐ、大西さんが名簿を作ろうと言うので、紙とペンを回す。
 大西さんとは同じ関西人ということもあって波長がよく合い、成田までの時間がとても短く感じられた。
 途中のサービスエリアで休憩があり、「イキのいいお兄ちゃん」という感じの木ノ下聡彦さんと話していたら、木ノ下さんが僕と同じ大阪市平野区の出身だとわかってびっくりする。

 22時過ぎ、バスは成田エアポートレストハウス(別名ジャンケンホテル)に到着。ロビーで部屋割りが発表された。
 部屋は男女別・番号順で、立正大の中島也之と広島電機大の豊島が同室に。二人ともおとなしいタイプだ。
 明日は5時にロビーに集合なので、早く寝ようと思ったが、ジャンケンのことが頭にちらついてなかなか寝つけず、二人と話をしたり、ぼんやりテレビを見たりして、3時過ぎまで起きていた。


【5】セオリー通りの3連勝/成田空港・第2次予選

 8月31日。4時半に起床。
 ほとんど寝ていないのに、全然眠くない。緊張している証拠だ。
 ゲンを担いで、服は東京ドームの時と同じものにする。
 ジャンケンで負けてもテレビに映るように何か小細工をしようかとも思ったがやめた。
 僕はテレビに映りたくてウルトラに出た訳じゃない。勝たなければ意味がないのだ。

 5時過ぎに福澤さんが登場し、モーニング・ジャストミート。今年は渡辺正行さんもまったく抵抗せず、あっさりジャンケンに決まり、ジャンケンを徹底的に研究してきた僕はホッとした。
 組み合わせは1番対100番、2番対99番……という順で、僕の相手の87番は誰かわからない。

 渡辺さんが持ってきた「ジャンケンの法則」にみんなとまどいながらも対戦が進む。
 「最年長」野上久紀さん、「サッカー野郎」山名、「大学院パー」中川君など、クセのある連中が勝ち抜け、7組目の対戦で大西さんが登場。
 相手はRUQS幽霊部員の森川。昨日の晩、部屋で「打倒ラッキー7」の鉢巻を作っていたという、「わら人形系」の男だ。
 大西さんは2連勝し、あっさり勝ちそうだったが、その後3連敗して逆転負け。
 これからの旅をより楽しくするためには欠かせない人だっただけに、残念だった。強敵が減ったというスケベ心もほ~んの少しあったが。

 11組目、「新撰組」下村と伊東の対決では、「東大」対「第一経済大」ということで下村が福澤さんに散々もて遊ばれ、かわいそうだった。伊東は僕の研究したセオリー通りに出していたが、下村には通用せず、1-3で敗退。「ジャンケンは偏差値ではありませんでした」というセリフを残して散っていった。
 伊東とはクイズ研のほか、野球サークルとバイトも一緒で、最も親しい友達の一人だっただけに、とても残念だった。
 ところで、今回は負けた人が叩くピコポンハンマーの衝撃度測定機なるものが登場したが、僕はそれを見た途端、何か怪しいなという気がした。
 もしかしたら敗者復活があるのかもしれない。とすれば、強く叩くか弱く叩くか、どちらかの上位者だろう。僕の力では強い方の上位者に入れる保証はないから、もし負けたら軽くポンと叩こう。
 隣にいた中島とそんな話をしていたら、その通りだった。この時伊東が隣にいたら、飛行機に乗れたかもしれないのに。
 
 中島が勝ち、いよいよ僕の番だ。
 相手はまだ言葉を交わしていない87番、中村。
 僕が「東京大学です」と言うと、相手も「東大です」と言うので驚いたが、東洋大学だった。紛らわしい男だ。
 それはさておき、この中村は僕の研究による「最初にグーを出しやすいタイプ」に属していた。どこで判断したかは秘密なので書けないが、とにかく、僕は最初は「パー」とすぐに決めた。
 結果は勝ち、勝ち、あいこ、勝ち。セオリー通りに出しての会心の勝利で、思わず派手なガッツポーズをしてしまった。
 後になって、この中村と会うのは初めてではないことがわかった。6月に『100万円クイズハンター』の予選に行った時、2次の集団面接で、伊東と僕の「郵便局ミッドナイトアルバイターペア」の隣にいた「温泉同好会ペア」の一人が彼だったのだ。「温泉同好会」というのはまったくのでっち上げで、本当は東洋大のクイズ研なのだが、この時は仲良く予選落ちしたのだった。

 ANAのバッグをもらい、すぐに渡航手続に入る。この先もずっとそうだが、勝者と敗者はすぐに離されてしまい、敗者席に声をかけることすらできない。
 その後のジャンケンの経過はまったく見えず、気を揉んだが、木ノ下さん、鎌田、原が次々に現れた。

 勝者の50人はバスで空港へ向かい、待合室で待たされる。
 その間に写真を撮り合ったり、アドレスを交換したりして、すっかり打ち解けあい、このメンバーならきっと楽しい旅ができる、そんな気がした。

 いよいよ生まれて初めての飛行機に乗り込む。席は適当だ。
 もう出発かという時、前の方でわ~っというざわめきが。何や何や?
 敗者復活のたすきをかけた人たちが駆け込んで来たのだった。全部で5人。最後の一人は……大西さんだ!
 この時は本当に嬉しく、思わず立ち上がって握手を求めてしまった。